( ◜◡◝ )
中学生の頃のお話。
まず、中学生の時の私は
どんな生徒だったのか
というところから
書いていきましょうかね。
中学校に上がると、生徒の数が
小学校の時と比べて一気に増える。
私の通っていた中学校は
3つの小学校と、
1つの小学校の一部が
通う中学校で1学年8クラスでした。
自分で言うのもアレですが…、
私はどちらかと言えば美人タイプ。
雰囲気的にはツンとして
冷たいタイプだと第一印象で
思われることが多いです。
最初はそんな印象なので、
他の小学校から来た人は
話しかけづらかったようで、
私の周りは同じ小学校の人が
よく集まっていました。
男子とも女子とも
分け隔てなく話し、
もともと性格は明るいので
みんながそういうことを
分かりだしたら友達は一気に増え
同級生の中で3年間一言も
話していない人はいないかな。
それでまたさっぱりとした
性格でもあるので
嫌なものは嫌、ダメなものはダメ、
悪いことは悪いとはっきり言うし、
成績はトップではなかったですが
頭の回転が早く、
理路整然と話をするので
口論とかで負けることは
まずなかったですね。
ところで中学生くらいになると
現れ始めるのが不良ですよね。
私の中学校も、もちろん
不良グループが存在しており、
当時学校が少し荒れていた
時期ということもあって、
本格的な不良から
なんちゃって不良まで
幅広く存在していました。
1つ上の学年では、
他校からの殴り込みが
あったほどですから、
荒れてましたね。
そんなちょっと本格的な
不良グループがいた
中学校でしたが、
その不良グループでさえ
私に話しかける時は
気を使うという…。
私って何なんでしょうね?
私は機嫌が悪いときに
話しかけられるとにらみ返す、
不機嫌そうに話を聞く、
問い詰めるような質問をする
そして追い返すという
悪い癖があります。
不良グループの中の人が
私に話しかける時は
まずクラスの他の人に
『今日のみなよの機嫌はどう?』
と確認してから機嫌の良い時だけ
話しかけてきたという
不良にまで気を使わせていた私。
ちなみに『みなよ』というのは
私のあだ名で、
淑乃(よしの)なので
『よっしー』などが
定番なのでしょうが、
小学生のときに
吉田さんがいて
その子が先によっしーと
呼ばれるようになり、
私は漢字が難しく出遅れたので、
姓から一文字、名から二文字
合わせて『みなよ』となりました。
前にも書いたよね。
話を戻します。
学校の通知表ですが、小学生の時は
◎ 大変よくできました
○ よくできました
△ がんばりましょう
という3段階評価でしたが、
中学生では1〜5の5段階評定に
なりました。
ところで…、
通知表で『1』を取ったことが
ある人はいるでしょうか?
もちろん世の中には1を
取ったことがある人は
いると思いますが、
成績上位クラスで進学校に
進学できるような人で『1』を
取った人というのは
多くないと思います。
私は『1』を取りました。(笑)
中学1年の時、
数学の何の問題だったかは
忘れましたが、授業では
習っていない公式を
使って解いたことがありました。
答え自体は合っていたのですが、
「授業で習っていない
公式や定理を使うなら
まずその公式や定理が
成り立つことを
証明してから使いなさい。」
という理由で△にされ、
2点減点され98点にされました。
「たかが中学の数学の教師が
何の権利があって
そんなこと言ってるの?」
と、比較的大きな声で呟いたのを
先生に聞かれてしまいまして、
その呟きはクラス全員が
聞こえていたらしいですが、
私は呟いただけ…。
それでまあ何と言いますか
女のヒステリーというか
担任だったその数学の女教師は
通知表に怒り狂ったように
態度が悪いとか、
学ぶ姿勢が感じられないとか、
謙虚さが足りないとか、
知的レベルは高いが
その知能を悪い方に使っているとか
欄外に飛び出るほど書かれ、
クラス最高点98点で
成績が『2』でした。
中学2年の時、
担任は変わりましたが
数学は同じ先生が担当だったので、
中学1年の1学期に5をもらった以降
中学2年の終わりまでの
数学の成績は…。
書くまでもありません。
95点以下を取ったことがないのに。
それで肝心の『1』を取ったのが
中学2年の音楽。
私はバイオリンが
少し弾けるということは
前に書いたかもしれませんが、
バイオリンを始めたのは
高校生のときなので
中学生時代はまだバイオリンに
出会っていません。
音楽教室にも
通ったことはないのですが
小さい頃、何故かうちには
エレクトーンがありまして、
それで遊んでいたので
エレクトーンが弾けるように
なっていました。
楽譜も誰に教わるでもなく、
何か普通に読めるようになり
小学校の音楽で長調とか短調とか
ほとんどの子が❓❓となるのも
何かすぐに理解できており、
うちにクラシックのレコードが
100枚くらいあったのを
よく聴いていたので、
完コピではないですが
有名な曲の一部を
何となく弾けたりと
そんな感じで音楽は得意な方でした。
でも、クラスの合唱とかで
ピアノやオルガンを弾ける子が
伴奏とかやるのですが、
オルガン弾ける人〜?と
聞かれた時に一度も
手を挙げていないので
私がピアノなどを少し弾けることを
誰も知りませんでした。
音楽は得意な分野でしたし
中学校でやるアルトリコーダーも
上手な方でした。
その私がなぜ音楽で『1』だったのか。
それはある事件が
起きてからのことでした。
ある事件とは、他のクラスの男子が
好きな女の子のアルトリコーダーを…
という書くのもアホらしい
中学生らしい事件だったのですが、
その事件をきっかけに
もしかしたら
私のアルトリコーダーも
どこかの誰かが…という疑念がわき、
アルトリコーダーを叩き割って
焼却炉に捨てたのです。
それ以降の音楽の授業では
アルトリコーダーを
一切吹かず、まあ持っていないので
吹けないのですけどね。
最初は忘れたとか、
ちょっと調子が悪くて
修理に出してるとか
いろいろ言い訳をしていたのですが、
いつまでもそんな
言い訳が通用するはずもなく、呼出し。
そこで叩き割って捨てたことを
正直に話したのですが、
新しいのを買ってもらいなさいと
言われたものの
買ってもまた誰かが…ということも
あり得るので買いませんと拒否。
親に電話されても拒否。
結局最後まで買わなかった。
それが原因で『1』の成績になった。
『1』の通知表を持って帰った日、
母親は私が落ち込んでいるのでは
ないかととても心配したそうです。
母から兄に、今日は淑乃を
そっとしておいてあげてね
と伝えていたそうです。
別に落ち込んでいた訳では
ないのですが、笑っているのも
変なので特に何も話さず
ぼーっとしていました。
夕食のとき、
父が小学校1年生のときの
参観日のことを話してくれました。
忙しい父がたった1回だけ
来てくれた参観日。
父は学歴的には中卒、
でも中学校もほとんど行かず
働いていたそうで、ほぼ小卒。
だから学校のことに詳しくない。
『小学校1年生の参観日のとき、
音楽の授業で、
みんながハーモニカを
吹いているときに、
淑乃だけ何もせず座っていた。
下手な子が練習のために
吹いていると思い、
優秀な淑乃は
吹かなくていいんだ、と思って
両隣にいた見ず知らずの奥様に、
「ハーモニカ吹いてない子が
うち娘です。上手なので
練習しなくていいみたいですね。
自慢の娘なんです。」って
話してたら
兄の授業を見ていた母が来て、
「淑乃の机の上にハーモニカが
あった気がする。まったくもう、
参観日に忘れ物なんかして
恥ずかしい。」と
母が言ったのを聞いた
周りの奥様がクスクスと笑い、
顔が真っ赤になるほど
恥ずかしかった。』
と話してくれました。
私はそのことを全然覚えてなくて
『えー、そうなの〜?』と
言ったのですが、
それまでの食卓の空気が
ガラリと変わり、和やかないつもの
食卓に戻りました。
その後、母が
その小学校1年生のときの先生と
今回1をつけた先生は義理の姉妹
ということを教えてくれた。
《音楽の授業》《アルトリコーダー》
《ハーモニカ》《参観日》《成績1》
《父の記憶》《私が生涯忘れないこと》
《7年の時を経て出会った二人の大西先生》
(名前書いちゃった〜)
いろいろなものが繋がった日。
たった1回だけもらった『1』
良い思い出だなぁ。
思ったより長くなったので、
中学生編は次回も続きます。
【次回予告】
中学3年の頃のpri_ten
お楽しみに〜。