(^∇^)


先週悲しいことがあった。


うちの父は自営業でアイロンをかける


仕事をしていた。


5年くらい前かな、取引先の会社が


倒産して、6ヶ月分の工賃がパーになった。


その後はホントにささやかながら


少しの仕事を探して、何とか続けてきた。


でも、2年くらい前からほとんど仕事も


見つからず、平成24年度末には


事業廃止届けを出していた。


それでも2〜3ヶ月に1度とかのペースでも


仕事を続けるために、毎日ボイラーに


火を入れ、道具のメンテナンスは続けていた。


でも、とうとう先週、アイロンやボイラー等


仕事道具一式を処分した。


実はうちの父は国民年金を一切掛けていない。


つまりこれから先、一銭も収入がない。


母は国民年金を掛けているけど、


4年先からしかもらえない。


岐阜はアパレル産業で栄えた街だけど、


バブル崩壊後は海外からの安い服が


大量に入ってきて、崩壊状態。


会社もバブルで抱えた在庫処分に


苦しんだ経験から、生産量を抑えたまま。


岐阜の駅前の問屋街はシャッターが


閉まっているところばかり。


さて、親の生活をどうするか。


答えは一つ。私が支えるしかない。


コンサルティングの仕事をしておきながら


自分の親のライフプランについて


助けられなかったことは悔やまれる。


親は生命保険会社の予定利率の高いときの


個人年金に加入していた。


でも、岐阜のアパレル産業は衰退するだろうから


とにかく家のローンだけは先に片付ける


ということで、個人年金も解約し、


その解約金もローンの繰上げ返済に当てた。


35年ローンを20年で片付けた。


子ども2人を大学に通わせながら


ハイペースで返済してた。


そのこと自体は正しい判断だったと思う。


私がコンサルティング会社に勤務して


やっと一人前といえるレベルに達した時には


すでに老後の生活設計をするには


時間が短すぎた。


思ってたよりも岐阜の問屋街の衰退の


ペースが早すぎた。


親は子どもの世話にはならないと言う。


まして、病気の私の手を借りるなんて


考えてもいないと言う。


でも、きっと支えられるのは私しかいない。


兄貴は遠いところに住んでるし、


まだ新婚さんだから生活が大変だろう。


何とかしないと。