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連休に向けての準備を着々と進めてます。


愛知県図書館からとりあえず


本を3冊借りました。


購入するかどうか悩んだのですが、


毎日新聞社から出てるシリーズが8冊、


朝日新聞社から出てるシリーズが13冊で、


どちらもかなりの出費になることから、


図書館から借りることにしました。


最近のブログでも書いている通り、


今の読書の中心はオウム関連で、


今回は裁判記録をまとめたシリーズです。


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とりあえず3冊。休みの間なら


2〜3日で読めると思いますが、


連休中に穏やかな天気の日には


近場で少しお出かけもしたいし、


ずっと家の中にいるのもつまらないですからね。


体調と気候と天気と相談して、


条件が整えば近場で少し出かけたいなと。


シリーズは毎日新聞社の方の8冊シリーズに


しました。


地下鉄サリン事件から20年が経ち、


三女アーチャリーが本を出版し、


そこからオウム関連の本を読み続けていますが、


読めば読むほど、異常だと感じる。


何が異常かと言えば、警察や検察、


そして裁判のあり方が異常だと…。


それで裁判記録を読もうと思ったのです。


別にオウムを擁護するつもりもないし、


死刑判決がおかしいと言うつもりもないし、


許せない事件だとの認識は変わりません。


しかし、どんな凶悪な事件を起こしたとしても、


裁判は正当に行われるべきであり、


でもこの裁判は本当に法治国家として


正しく裁かれたのだろうかという


疑問が湧いてきます。


例えば、サリン事件後もオウム信者が


微罪で逮捕されることはよくありました。


オウム信者が逮捕されれば大きな記事になります。


しかし、微罪で逮捕あるいは


少し無理な理由で無理矢理逮捕された


ような場合、最終的に処分保留で


釈放になっているケースがたくさん


あるようです。


でもそのことを新聞やテレビは報じない。


逮捕されたことだけを伝えて、


やっぱり今も危険な集団だという印象を


植えつけ、処分保留で釈放になったことは


伝えない。


悪いイメージだけが膨れ上がる。


オウム事件で様々な法律ができたり


改正されたりした。


世の中に与えた影響は大きいでしょう。


平成15年から裁判の迅速化に関する法律


いわゆる裁判迅速化法というので、


今は2年以内に裁判が終わるように


なっています。


オウムの裁判は約8年かかりました。


地下鉄サリンだけでなく、松本サリンや


坂本弁護士、信者の殺害、公証人役場の人の殺害、


その他にも未遂事件や武器を製造したり


いろいろな罪で起訴されており、


その裁判が8年で終わるというのは


今までの裁判と比べれば圧倒的に短い。


例えば死刑の判断基準として有名な


永山基準と言われる永山則夫が起こした


事件は4名の殺人ただそれだけ。


単独犯だし、証拠もあるし、事件の解明は


難しくない事件であっても、


その裁判は10年かかっています。


オウム、特に松本智津夫(麻原彰晃)が


起訴された数は膨大で、組織犯罪で


指示系統や松本智津夫が実際に


どこまで関わったのか、そして弟子たちの


証言も一部食い違うところもあり、


松本智津夫自身は精神異常をきたし、


裁判でまともな発言ができなくなっていた。


詐病というので説もありますが、


精神鑑定はなかなか行われず、


1審で死刑判決が出た後にようやく


精神鑑定は行われたが、それは通常の


精神鑑定ではなく、(弁護士が立ち会えない)


精神鑑定の結果を参考にするという程度の


ものだったようです。


結局、裁判は終わりましたが、


被害者や遺族が何も解明されていないと


言うように、事件の全貌が明らかになった


訳ではありません。


振り返ってみれば、最近の厳罰化を望む声や


様々な法や制度が改正されたのは


このオウム事件が発端となっているようです。


繰り返しになりますが、


オウムを擁護するつもりはないし、


死刑判決も当然だと思います。


しかし、メディアに流されるまま


報道のみを信じて、悪だとか決めつけるのは


やっぱり納得がいかない。


だから、裁判記録を読んで、


自分なりに正しい裁判であったのか


その真実を知りたいのです。


私は裁判員裁判の経験者であり、


その裁判は殺人事件でした。


有罪か無罪か、有罪なら罪はどの程度か


それを決めることは大変なことです。


その後は実名報道でインタビューに応じたし、


テレビの取材も実名顔出して出ました。


だからこそ、裁判は正当に法に則って


正しく行われるべきだという思いは


強いです。


法を侵した者は裁かれ、罪を償わなければ


なりません。


でも、その前に正しく裁判が行わなければ


なりません。


最初から悪と決めつけて、その前提で


裁判を進めるということは恐ろしいことです。


悪魔の証明と言われるように、


やっていないことを証明するのは


難しく、疑わしきは被告人の利益にという


推定無罪の原則は今やあってないような


ものですね。一番わかりやすい例が


痴漢冤罪でしょうね。


痴漢だと言われれば、被害女性の証言が


信用され、被疑者の男性の証言は黙殺される。


やっていないことの証言は難しい。


女性は触られたと言い続ければいい。


そしてほとんど有罪にされる…。


そしてこれを悪用して、和解金を脅しとる


極悪卑劣な女もいる。


裁判制度をもう一度しっかりと見てみたい。


そのためのオウムの法廷記録の読書です。


裁判記録を読むのって意外と面白いですよ。


裁判所のホームページから全てではありませんが


裁判記録を読むことができます。


一度読んでみると楽しいですよ。